生まれたときからほぼずっと同じ場所に住んでいる。
大学時代に数年この土地を離れたことはあるが、大学卒業後にこの土地に戻って、それからずっとこの場所に住んでいる。結婚したときも新しい土地に出て行くのではなく、妻にこの土地に来てもらった。新しく家を建てるときも新しい土地を探さず、この土地を離れることはなかった。
ずっと同じ場所に住んでいると、最寄りの駅も昔と同じになる。もう40年ほど同じ駅を使い続けてきてるからか、仕事で毎日通勤しているとこの駅についてふと思い出すことがある。今回はその話をしようと思う。
私が小学校低学年ぐらいのときの話だ。当時、親父はターミナル駅から家に電話するのを習慣としていた。いわゆる帰るコールだ。その日は雨が降っており、親父は傘を持っていかなかったようで、帰るコールのなかで家族に傘を持って最寄り駅まで迎えに来てくれと要望した。
親父から連絡があった後、私は母親とともに傘を持って駅に向かった。2歳上の兄も付いてきたかもしれない。駅までは徒歩で10分ほどなのでそれほど大変な距離ではない。少し早めに駅に着いて、改札の外から目を凝らすが親父の姿は見つからない。しばらくするとターミナル駅側から来る電車が止まり、一斉に人が降りてくる。その中から親父の姿を探すがなかなか見つからない。しばらくするとその電車から降りた大半の人が改札を通って家路へと消えていく。電車が通り止まるたびに親父が見つからないと、この電車ではなかったか…とちょっとがっかりした気持ちになったのを覚えている。
そのうち本当に親父が乗っている電車が到着する。親父は端のほうの車両に乗っているからか、大抵は降りてくる人混みがまばらになった頃に現れる。改札の向こう側に親父の姿が現れると、子供心に嬉しくなったのを覚えてる。親父自身も子ども達の存在に気付くと、いい笑顔を浮かべた。そして、家族で傘をさして並んで家まで帰った。
という感じの子どもの頃のありふれたエピソードだ。このときの情景はよく覚えているし、何十年も同じ駅を使い続けていると度々思い出す。
親になった自分にとって、このときのエピソードは色々と感慨深いし思うところがある。今の自分は仕事に出かけるときに、鞄に常に小型の折りたたみ傘を入れていて、家族に電話をして駅まで傘を持ってきてもらったことは一度もない。ただ、妻と子どもが傘を持って改札の外で待っている姿は、相当嬉しいだろうなという予想はできる。きっと当時の父親にとって貴重な思い出になっただろう。そして、子どもが嫌がることなく親と一緒に過ごしてくれる年齢帯は、あっという間に過ぎ去ってしまうだけに、その記憶も一層の価値を持つかもしれない。
今なら当時の親父の気持ちがわかる気がする。次会うときにでも、この話をしてみるかな。