肉体の衰えについて
つい先日49歳になったこともあって色々と老いを感じずにはいられない。
まず48歳半ぐらいの時に五十肩になった。これは今も治ってなくてずっと痛い。左肩がまっすぐ上に上げられないんだけど、そうすると日常の動作が制約されて、特に服を着るのが大変になる。無理に伸ばそうとすると激痛が走る。あまりの痛さにうずくまるほどだ。20秒ほどで痛みはなくなるとはいえ毎回あの痛みが走るかと思うと、どうしても肩を大きく回すことができず、結果的に服を着るのに手間取ってしまう。
左肩の五十肩もそうだけど、肩まわりは特に酷い。左右とも肩甲骨のだるみはずっとあるし、後ろ手に組んだ腕を上げようとしてもほとんど上がらない。原因としてはもちろん自分の運動不足もあるけど、根本的なところでは昼間の座り仕事が原因だろう。ずっとパソコンの前に座って文字を打っているだけなので、どうしても肩が悪くなる。仕事中もことあるごとに伸びをするし、トイレに行くたびに肩をぐるぐる回してるけど、根本的な解決には程遠い。
2022年の夏頃に左肩の五十肩に加えて首にも痛みを感じて整形外科に行ったことがある。首の方は骨ではなく筋が縮こまっていることによる痛みとのことだが、五十肩の方は肩に水が溜まっているとのこと。どちらに対しても治療というのは特になく、全国の整形外科に配られているであろうカラーの体操の仕方みたいな紙を渡されてそれで終わり。もちろんその体操をしていれば治るのかもしれないけど、特に治療がなかったのは不満というか驚きだった。整形外科とはそういうものなのか。やはり鍼灸で治療してもらう必要があるのかもしれない。
他にも、47歳ぐらいからだろうか、深夜に1~2回トイレに行くようになった。若い頃は夜中にトイレに行くことはほぼなかったのに。昼間の尿意にしても、まだ行けると我慢してからヤバイ限界!までの時間的・肉体的な間隔が短くなって、トイレに到着してから漏れそうで危なかったと感じることが時々ある。老人がよくトイレの前で漏らしてしまうというのがあるけど、たぶん今の状況がさらに進むとそこに至るのだろう。
最近はそんな感じで老いをリアルに感じる。老いをリアルに感じるようになったことで、逆に若さというものに対して尊さを感じるようになった。ステージで飛んだり跳ねたりする若い人のパフォーマンスや、若いカップルの性の営みなどに、とても強い輝きを感じるようになった。誰の人生にもそういうほとばしる若さが訪れる時期はあるんだけど、少なくとも自分はもうその時期を過ぎてしまった。そのことを少しだけ寂しくも思う。自分なんかが今飛んだり跳ねたりしたらぎっくり腰になるだろうし、そもそも五十肩で腕が上がらない。自分がもっと年老いて歩くこともままならなくなったら、今度は普通に歩いている人を見ただけで尊いなって思うんだろうなあ。1人で歩いて買い物に行ったり、1人で電車に乗って行きたいところに行ったり、そういう今当たり前の動作が尊い営みに感じるようになるのかもしれない。
痩せないといけない
2023年は痩せたい。
しかし痩せるには色々と障壁がある。言い訳になるんだろうけど言わせて下さい。まず自分は昼間の仕事でずっとストレスを抱えている。そうするとどうしても家に帰ってきてからの食事は、生きていくためだけでなくストレスの発散としての意味も帯びてくる。食事が発散の意味を帯びると、どうしても量が多くなり、ジャンクなものも食べてしまう。かと言って発散目的の食事をやめるようにすると、今度は昼間のストレスの行き場がなくなってメンタル的にしんどくなってくる。どうしたらいい感じで両立できるかは未だによくわからない。そもそも、ストレスを溜めるのがよくないし、ストレスを食にぶつけてしまうのもよくない。たぶんこの辺りの考えが整理されないことには、ダイエットの成功もおぼつかないような気がする。
太っていても健康という人が世の中にいるかどうかわからないが、体重100キロに到達するためにはそれなりの才能がないと難しいというのを聞いたことがある。おそらく普通の人が100キロになると、内臓がボロボロになって病気になってしまうからだろう。私の体重はデブの中級ぐらいといったところだが、40歳ぐらいから健康診断で肝臓系の数値が悪くなってきていて、不定期で脂肪肝外来というものに通っている。脂肪肝外来で何をするのかというと、直近の健康診断の結果を持参してそれを先生に見てもらったり、追加でその場で血液検査をして経過について所見をもらう。あとは、ベッドに横になって、目を見たり体をちょっとだけ触診する。それぐらい。脂肪肝外来に通うことで危機感を持って痩せるところまで頑張れる人もいるかもしれないが、自分の場合はいまいち危機感が湧いてこなくてただ通ってるだけになってしまっている。
まぁ小難しいことは抜きにして、やることははっきりしている。とにかく痩せること。痩せれば肝臓の問題や体の全ての問題が解決する。2023年はなんとしても痩せたいところだ。
アニメについて
2022年もリアルタイムで完走したのは毎期5本ぐらいだった。アニメが好きと言っている割には、新しいアニメをあまり見ていない。どちらかというと好きなアニメを繰り返し見るタイプである。
正直なところ、私は性格的に言って嫌いなものが多い。アニメに限らず人との付き合いでもそうなんだけど、とにかく嫌いなものが多い。なので毎期のアニメを20本ほど見て、それぞれに肯定的なコメントを書いている人を見ると、とてもじゃないが自分にはできないと思う。自分ならそもそも20本も見ることはできない。20本見たとしてもそのうちの15本ぐらいはつまらなくて耐えられないだろう。
健常人と発達障害の間の人のことをグレーゾーンとか言ったりする。自分はたぶん限りなくグレーゾーンに近い人間なんだと思う。通ってる心療内科の先生にもその傾向があるとも言われたことがある。何せ生きづらいことが多すぎるし、好きなものよりも嫌いなものが圧倒的に多い。ずっと何かにイライラしてるし何かを嫌っている。臭いとか汚いとか情報が込み入ってるとかの状態が気になって耐えられなくなることがある。こんな性格なので妻にも随分と嫌な思いをさせたと思う。世間にはやたら左寄りの思想でずっと怒っている人っているけど、ああいう人達もおそらくグレー寄りで生きづらい性格なんだと思う。
まぁその話はともかく、毎期アニメを5本程度しか見れない自分は、実はそんなにアニメが好きじゃないのではなかろうかと思ったりもする。いや違うか、アニメ自体は割と見てる。ラブライブスーパースターはもう3周ぐらいしてるし、無職転生は4周ぐらいした。好きなアニメは繰り返し見るタイプではある。その代わり、好きになるアニメが極端に狭い。
例えば今期のぼっちざろっくだけど、自分はかつてギターをやっていてバンド活動をしていたこともあり、基本的に音楽は好きなんだけど、実はロックが苦手である。ロックのあの、見た目とかパフォーマンスの比率が大きいのが好きじゃない。目をつむっていても良いと思える音楽が好きで、見た目や高圧的な雰囲気で勝負しようとするスタンスが嫌いである。見た目や高圧的な雰囲気で勝負するのって、完全に陽キャとかヤンキーの世界でしょ。自分が中学生ぐらいの時にもボウイとか流行ってたけど、あのヤンキー的な雰囲気がまじで嫌いだった。嫌いどころか憎いぐらいだった。自分がエレキギターを弾くようになって少しは緩和されたけど、根っこはあまり変わってない。なので、今でも好きな音楽はジャズやフュージョンなどの「音」で勝負するものが多い。ぼっちざろっくにしても、話が面白いのはわかるけど、ぼっちちゃんがロックの持つ陽キャ的な雰囲気に近づこうとしている感じが馴染めない。陰キャならテクニカル系に行けよと。そんな色々なことが気になってしまって、どこか入り込めないところがある。
まぁ自分はそんな性格なので、アニメを見ていても合わないことが多い。皆が面白いと言っているものを全然面白いと感じないことも多い。それでもいいかなとは思うけど、皆が面白いというものを面白いと感じられないというのは、自分の許容量が極端に狭く生理的感覚が強すぎるグレーな性格が災いしているんだと感じて何か暗い気持ちになる。
ブログのことについて
先日、いつもブログを読んでいて密かにファンのanoparaさんがブログを閉鎖した。
anoparaさんのブログは本当に面白くて読み応えがあり、ブログを書く人が目指す一つの在り方だったと思う。巷には、アフィリエイトの広告を貼りまくって、なんとかして広告に誘導しようとするブログが多い中、しっかりと自分の考えを書いておられるので、これまで大変興味深く読ませていただいていた。それがこのほど閉鎖してしまった。最後の記事がもう削除されてしまったので紹介できないのが残念である。コンセプトを刷新して新たに始める予定があるとのことなので新生ブログに期待している。
そのanoparaさんが閉鎖したブログで最後に書いた記事が印象的だった。私の記憶による要約になるが、その中で「便利なガジェットやお得な情報はあなたの生活を豊かにしましたか?人々はそういった情報を知らない人のことを情弱と呼んでいるが、それを知ろうとしてあなたは豊かになれましたか?」というのが刺さった。
まさに自分の生活が豊かになっていかない理由をずばり言い当てられたようでドキッとした。確かに私はブログではいくつか役立ち系の記事を書き、ガジェット系については新製品情報を追いかけているところがあるけど、確かにそれで自分の生活や心が豊かになるということはなかったように思う。もちろんそれを追いつつも、豊かに暮らしている人もいるかもしれないが、自分は友達も全然いないし、アフィリエイトでもお小遣い程度しか稼げてない。結果的には全く豊かになっていないし、そういった情報を追うことですり減っているという実感もある。であれば、anoparaさんの言う「豊かにしてくれるもの(人との思い出や、人との交流)」こそ、これからの自分の人生にもそれが必要なのだと思う。
しかし、いったん人と会うと、その晩や次の日から頭の中で大反省会が催され、自分がした発言についてずっと後悔し続けてしまうので、正直なところ人に会うのは億劫である。そんな自分が人との交流の中で思い出を作るのは困難なのは明白で、一体どうすりゃいいんだという気持ちである。まぁ今後の課題といったところか。
ではまた!