【雑記】息子とゲームなど

雑記

今回も雑記を書いていきます。Twitterの頻度を下げ、頭で考えていたことを吐き出す場所が減ったことで、まとまったものを書ける場としてのブログに価値を感じてます。まぁ収益面ではイマイチなんですが、ブログに費やす時間が他の活動を圧迫しなければ、脳の新陳代謝みたいなものでむしろ体に良いような気がしてます。

では書いていきます。今回の話題は2つです。

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息子とゲーム

息子がこの春小学校を卒業し、いよいよ中学生になる。ついこの前ランドセルに背負われた写真を撮ったばかりだと思ったのに、もう小学校卒業とか早すぎる。

そんな息子だが、日常の興味の95%はゲームというぐらい無類のゲーム好きである。なのでゲームやり放題にすると節操なくゲームをやり続けてしまうので、今までは「みまもりSwitch」というアプリを使ってゲーム時間を適度に制限してきた。

しかし先日、とある出来事をきっかけに、息子のゲーム時間を過去最高に制限することになった。(それでもゼロではない)

少し前に中学に上がる前に塾に通いたいと自分から言い出したので、息子を塾に通わせることにしたんだけど、塾の宿題を疎かにした挙げ句、塾の勉強がわからないからやりたくないとかで早くも逃げ腰になったのである。自分の出来ないことに対してチャレンジする前にすぐに逃げるという態度はさすがに看過できないので、我々親は、ゲーム時間を制限し、もう少し真面目に取り組むように息子に指導した。

私は中学の初めから進学塾に行って割と熱心に勉強していたので、正直息子がこんなに早く逃げ腰になることが理解できないし、そもそも新しいことを学ぶのって少なくとも最初のうちは楽しいはずなんだが、それすらもない。

息子がこのような行動を取る理由というか兆候は以前からあった。たとえば、ゲームとの関わりでも自分ができない&興味がないことはやらない。我が家では、「ゼルダの伝説 ブレス オブ ザ ワイルド」、「ゼルダの伝説 夢をみる島」、「ドラゴンクエスト11」、「ゲームプログラミング」などを購入して既にSwitch本体にダウンロードしているんだけど、息子はこれらのゲームを一切やらない。なぜか。Apexばっかりやってるから。

Apexというゲームは(俺は酔うから一切やってないが)、基本的に終わりがないし、目的を持ちにくいし、ランクを上げるという目的を持ったとしてもそう簡単ではない。ましてや、FPSゲームは中毒性が高く、やり続けると他のことができなくなるという性質もある。中毒というのはそういうものである。しかも傍目には、ただ時間があるからApexをやっているように見える。そういうゲームを漫然とやって、他に面白いゲーム(上記の4本とか)を全くやろうとしないというのは、興味を広げる意識をそもそも持ってないことに加えて、自分は理解できないと初めから諦めてると思われても仕方ない。

まぁ私のようなおじさん世代のぼやきになってしまうけど、我々が子供の頃は、これ!というゲームに対しては徹底的に向かい合っていた。私の場合、ロードランナーのオリジナル面をノート数冊にまとめていたし、初代ゼルダの伝説では、全てのマップに1つずつ爆弾を置いて隠し穴を調べ、それを手製のマップに書き込んだ。ドラクエ2や3では自分でマップを書いて、武器や防具の値段をチェックしてマップに書き込んだ。新しいゲームが出たら持ってる奴の家に集まって、興味を持ってプレイさせてもらってた。

そういえば、先日YouTuberの瀬戸弘司(好きでよく見てる)が「妻がマザーを始めたんだけどレベル上げに難色を示している」(要約)という動画を出していた。(こちら)我々のおじさん世代からすると、レベル上げに難色とか「ハァ!?!?」という感じだが(瀬戸氏もそういう感じだ)、瀬戸氏の奥さんは大人だがここ数年でゲームを始めたライトユーザなので、今の子供達と感覚が近いのかもしれない。大学時代の友人(ゲーム歴浅め)が、FF7を最初から攻略本見ながらやってたのを思い出す。

そうは言っても、息子の友達でもApexをやりながらブレワイ、ドラクエ、モンハンなどをやってる子もいるらしい。今からファミコン時代のゲームをやれというのは酷かもしれないが、今のゲームであればシステム的にもプレイしやすくなっていて完成度も高いし、ゲーム好きなら興味を持って色々と当たってみるはずだ。

というわけで、息子のゲームへの凝り固まった姿勢と、塾への及び腰&なめきった態度などから、ゲーム時間を制限して、自分の取り組みをしっかり考えるように説明した。

とりあえず中学も始まることだしせめて夏までは頑張って欲しい。それでも勉強が嫌いで地頭に自信がないというなら、そう無理に勉強する必要はないので、塾はやめてもいいと伝えてある。不得意なことをいつまでも続けても効果は薄いので。だけど、ゲームひとつ取っても、取り組みが浅いし偏りがあるのは色々と良くないと思うので、そこら辺を考え直すきっかけになってくれたらと思う。難しそうだけど。

村上春樹とラノベと売れる作風

Amazonのおすすめに村上春樹の本が流れてきたので、そういえば最近の本は読んでないなと思って調べたらkindle版が出てたので読んでみました。「騎士団長殺し」という長編です。

私は20代の頃、村上春樹が大好きで当時はほとんど全ての作品(長編、短編、エッセイ)を読んでました。その後も長編に関しては全部、短編も8割方は読んでます。

久しぶりに村上春樹の長編を読んで思ったのは、これラノベだなということ。

ラノベって主人公に可愛い妹とか可愛い幼馴染がいて、しかも全員自分のこと好きでしょ。あり得ないのかもしれないけどこういう設定にすることで、主人公を通じて読者はいい気持ちになる。エンタメ性を重視すると、多かれ少なかれ物語というのはそういう要素を含むことになるけど、それと全く同じことが村上春樹の小説では起こる。しかも毎回。やれやれ。

具体的には、村上作品では定期的にセックスができる女性がいる。しかもだいたいエロい。指で導かれたり口で導かれたりしながら、ややもするとアブノーマルに(しかし大真面目に)射精する。また、かなりの確率で年下の中高生ぐらいの美少女が出てくる。この子とは性的な関係にはならないが、好意は持たれてる。節度ある大人として少女と接しながら相談に乗ったりして絆を深める。少女と育む信頼関係、きもちイイ。だいたいいつもこんな感じである。

村上春樹が嫌いという人は、こういうラノベ的なご都合主義と、それを実行する主人公のスカシ具合が嫌いなんだと思うけど、エロ度と主人公の年齢を高めにしたラノベだと考えれば、そういうジャンルがあってもいいし、需要があるのも分かる。とは言え、さすがに毎回この展開だと飽きてくる。同じ作者が、毎度妹と幼馴染とどうにかする話を書いてたら、読者は飽きてくるのと同じである。

しかし売れる作風ってのは、人が一生の間にひとつしか作れないものだなと改めて思う。

自分の本来の性質とその時代とがたまたまマッチしたときに、その人の売れる作風になる。自分の性質は尖ってないとダメだし、その尖りと時代がズレてるのもダメ。両方が噛み合ったときに始めて売れる。売れる人の場合、そういった奇跡のマッチングは大抵20代に起こるが、その後は基本的に奇跡は起こらず、ほとんど20代の頃の成功の焼き直しを続けながら年老いていく。一世風靡したミュージシャンも、作風を変えられずに落ち目になっていったりするのは、むしろ自然なのかもしれない。

村上春樹の場合に同じようなことを感じる。ノルウェイの森でヒットを飛ばし、その後数十年は作風がもてはやされたものの、近年の作風のあまりのワンパターンさには驚くばかりである。とはいえ文章力が高いし読みやすさはピカイチなのでつい読んでしまうというのはあるが。

今回はそんな感じ。ではまた!

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