【雑記】村上春樹とラノベと売れる作風

雑記

今回も雑記を書いていきます。Twitterの頻度を下げ、頭で考えていたことを吐き出す場所が減ったことで、まとまったものを書ける場としてのブログに価値を感じてます。まぁ収益面ではイマイチなんですが、ブログに費やす時間が他の活動を圧迫しなければ、脳の新陳代謝みたいなものでむしろ体に良いような気がしてます。

では書いていきます。

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村上春樹とラノベと売れる作風

Amazonのおすすめに村上春樹の本が流れてきたので、そういえば最近の本は読んでないなと思って調べたらkindle版が出てたので読んでみました。「騎士団長殺し」という長編です。

私は20代の頃、村上春樹が大好きで当時はほとんど全ての作品(長編、短編、エッセイ)を読んでました。その後も長編に関しては全部、短編も8割方は読んでます。

久しぶりに村上春樹の長編を読んで思ったのは、これラノベだなということ。

ラノベって主人公に可愛い妹とか可愛い幼馴染がいて、しかも全員自分のこと好きでしょ。あり得ないのかもしれないけどこういう設定にすることで、主人公を通じて読者はいい気持ちになる。エンタメ性を重視すると、多かれ少なかれ物語というのはそういう要素を含むことになるけど、それと全く同じことが村上春樹の小説では起こる。しかも毎回。やれやれ。

具体的には、村上作品では定期的にセックスができる女性がいる。しかもだいたいエロい。指で導かれたり口で導かれたりしながら、ややもするとアブノーマルに(しかし大真面目に)射精する。また、かなりの確率で年下の中高生ぐらいの美少女が出てくる。この子とは性的な関係にはならないが、好意は持たれてる。節度ある大人として少女と接しながら相談に乗ったりして絆を深める。少女と育む信頼関係、きもちイイ。だいたいいつもこんな感じである。

村上春樹が嫌いという人は、こういうラノベ的なご都合主義と、それを実行する主人公のスカシ具合が嫌いなんだと思うけど、エロ度と主人公の年齢を高めにしたラノベだと考えれば、そういうジャンルがあってもいいし、需要があるのも分かる。とは言え、さすがに毎回この展開だと飽きてくる。同じ作者が、毎度妹と幼馴染とどうにかする話を書いてたら、読者は飽きてくるのと同じである。

しかし売れる作風ってのは、人が一生の間にひとつしか作れないものだなと改めて思う。

自分の本来の性質とその時代とがたまたまマッチしたときに、その人の売れる作風になる。自分の性質は尖ってないとダメだし、その尖りと時代がズレてるのもダメ。両方が噛み合ったときに始めて売れる。売れる人の場合、そういった奇跡のマッチングは大抵20代に起こるが、その後は基本的に奇跡は起こらず、ほとんど20代の頃の成功の焼き直しを続けながら年老いていく。一世風靡したミュージシャンも、作風を変えられずに落ち目になっていったりするのは、むしろ自然なのかもしれない。

村上春樹の場合に同じようなことを感じる。ノルウェイの森でヒットを飛ばし、その後数十年は作風がもてはやされたものの、近年の作風のあまりのワンパターンさには驚くばかりである。とはいえ文章力が高いし読みやすさはピカイチなのでつい読んでしまうというのはあるが。

今回はそんな感じ。ではまた!

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